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死刑について その2

>>前回からの続き

死刑反対論者がよく持ち出す代替え案に、「終身刑」がある。

被害者感情に対し「終身刑があればいいじゃないか」という理屈である。

この理論が成立しないのは、前回述べた通りである。

そもそも死刑廃止国の警察官は、

危険な凶悪犯に毅然とした対応を取る事を、ある意味義務づけられている。

少し前に、イギリス人女性死体遺棄容疑で逃亡した市橋という男がいる。

警察官の尋問を振り切って「走って」逃走したという。

諸外国であれば撃たれている。場合によれば射殺である。


誤解を恐れずに言えば、死刑廃止国の警察は、死刑になる可能性がある凶悪犯を逮捕の前に

始末している事が多い。

秋葉原の大量殺人事件では、誰か市民が銃を所持していたら被害が少なくて済んだ可能性もある。

何も私は銃の所持や警察官の犯人射殺を肯定しているわけではなく、

そういったことを含めた上での議論でないと日本の死刑制度は語れないと言っているのである。

むしろ警察が犯人に発砲せず、市民は銃を持たない社会の方が100倍健全だと思う。


また死刑反対論者のもう1つの理由として「冤罪」の可能性を上げる。

実際に4件で死刑確定後に再審請求で無罪になったと主張している。

それはいい事ではないか!

だからこその再審制度だと思う。

冤罪が免れたわけであるから。

ただ再審請求は刑執行に効力を有しない(刑事訴訟法 第442条)ことから、

過去に一回だけ(筆者の調べた限り)再審請求中に死刑が執行された例があるにはある。

しかし、一般的には刑が執行されないらしい。

それを弁護士は知っているから、再審請求があとをたたない。

そもそも「冤罪」を言い始めたら、日本の司法制度の根幹を否定することになりかねない。

なにも死刑の受刑者だけが冤罪の可能性があるわけではなく、現に菅谷さんという

冤罪で17年間も自由を奪われた人がいる。

死刑反対論者はこうした受刑者に対しては「今生きているからいいじゃないか」という理屈であろうか?

失われた17年間はどうやっても「取り返しがつかない」と思うのだが。

それともすべての刑罰に冤罪の可能性があるから、すべて軽くしろ

とでも言うのであろうか?


繰り返すが世の中に100%ということはなく、裁判官であっても!00%正しいという事はない。

それを皆、99.99999……%にしようと努力しているのである。


我々心臓外科医も同じである。

100%助かる手術などありえない。

では「死ぬ可能性」が1%でもあったら手術を行わないであろうか?

そんなことをしたら我々の商売は成立しなくなるし、多くの患者が命を失うことになる。

この項終わり(関連記事はこちら
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死刑について

死刑場が初めて公開されたようである。

特にどうということはない、というのが私の感想である。

何回世論調査を繰り返しても、残念ながら死刑廃止論者の思惑とは裏腹に

80%以上の国民は死刑に賛成している。

この事実から、日本が民主主義国家である以上、死刑は当分廃止されることはないし、

また特段、国会で議論する必要もない。

そんなことを議論している暇があるなら、政治家は経済政策や社会福祉政策、

それに外交にもっと時間を注いで欲しい。

いっそのことアメリカの一部の州のように、被害者の遺族などに(希望があれば)

死刑を公開すればよいと思っている。

ショーン・ペンの映画のように→ デッドマン・ウォーキング [DVD]


死刑場を見学するより、実際に死刑が確定した犯罪がどのように行われたかを知った方がよっぽどよい。

「死刑の理由」↓
死刑の理由 (新潮文庫)

この本は、裁判所が作成した死刑判決の判決書から「死刑の理由」にあたる部分を抜粋した、

大変興味深い本である。「永山事件」や「連合赤軍事件」など有名な事件の判決文も含まれている。

読むに耐えない、残忍非道な所業から、「えっ?これで死刑なのか」という判決文もある。

作者は、その前書きと後書きからどちらかというと死刑批判論者のようであるが、

だとしたら尚更、優れたアイディアの書籍である。


また、死刑廃止論者がよく持ち出すのは、先進国を含めた世界の130以上の国で死刑は廃止され、

日本を含めた30~40国だけが死刑を存続しているという統計である。

だから日本も多勢に従え、という理屈であろう。

しかし騙されてはいけない。

説得力が全くない統計であることを知っておいた方がよい。

死刑廃止国のリストにはつい最近まで内戦を繰り返していた国や、独裁軍事国家が存在する。

「死刑」どころではない。

一方政情が安定している国も要注意である。先進国カナダを見てみよう。

カナダはアメリカ以上に国民の銃所持率が高く、(アメリカのような乱射事件は聞かないが)

国民には基本的に自分で自分の身を守るという考えが浸透している。

したがって、(詳しい法律は知らないが)一般市民が正当防衛で誰かを銃殺しても

正当防衛が証明されたなら、相手が無実でも罪に問われる事はないらしい。

また有名な出来事では、イギリス(死刑廃止国)の警察はアメリカ以上に銃を発射するらしく、

2005年のロンドンテロ事件の時に、全く無実のブラジル人を「逃げた」という理由だけで射殺している。

さすがに国際問題にまで発展したが、射殺した警官は最終的に罪に問われていない。

ここを参照→ロンドン同時爆破事件

一方、日本はどうだろうか?

警察官が発砲どころか、ちょっとでも被疑者に怪我を負わせたら大ニュースになってしまう。

バイクで暴走する危険な悪ガキを追走し、悪ガキどもが事故でも起こそうものなら

「適切な追走だったのか」などとニュースになってしまう。

アメリカなら射殺である。

まったく受難だらけの日本の警察官である。

>>続く

小沢一郎と菅直人

小沢一郎と菅直人の違い

1.菅直人は自民党出身ではない
2.菅直人は剛腕ではない
3.菅直人は理系学部出身である
4.菅直人はお遍路の旅に出たことがある
5.菅直人には金銭を巡る疑惑がない
6.菅直人は総理大臣である
7.菅直人は狭心症ではない(と思われる)
8.菅直人は外交があまり得意ではない
9.菅直人は政局があまり得意ではない
10.菅直人は根回しがあまり得意ではない
11.菅直人は討論を得意としている
12.菅直人は演説が得意な方である
13.菅直人にはあまり週刊誌的ネタがない
14.菅直人は囲碁が得意ではない


小沢一郎と菅直人の共通点

1.政治家である
2.現在民主党に所属している
3.都立高校を卒業している
4.政策は好きな方である
5.したがってマニフェスト作りは得意である
6.大臣経験者である
7.恐妻家とされる


これ以上の共通点は思い浮かばなかった…

人間と犬の方が共通点が多いかもしれない。


人間と犬

人間と犬の違い

1. 犬は言語を持たない
2. 犬は(自分の意志で)服を着ない
3. 犬は4本足歩行、人間は2本足歩行
4. 犬は字を書かない
5. 犬は物を食べるときに道具を使わない
6. 犬は火を扱えないし火を怖がる
7. 犬は笑わない
8. 犬はお金を使わないし使えない
9. 犬は自殺しない
10. 犬は嗅覚が鋭い
11. 犬は読書しない
12. 犬は絵を描かない
13. 犬は彫刻を彫らない
14. 犬は他の犬に物事を教えない
15. 犬は自分の外見を気にしない
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.
人間と犬の共通点

1. ほ乳類である
2. 食べ物の好き嫌いがある
3. うれしいとはしゃぐ
4. 怒ると吠える
5. よく怒る
6. よく叱られる
7. 甘えん坊である
8. 異性が好き
9. わがままである
10. 居眠りをする
11. 弱いものいじめをする
12. 強いものには歯向かわない
13. 欠伸をする
14. 病気にかかる
.
.
.
15. 必ずいつか死ぬ


嘘度について

世の中に「100%」と断言出来る物事は

ほとんどないと言ってよい。

今、思いつくのは「人間は必ずいつか死ぬ」という命題だけである。

それ以外に「これは!00%と言えるだろう」

という命題があれば、コメントしていただきたい。

今や「人間には必ず一人の母と父がいる」などという命題も

成立しなくなっている。


ただ数学の世界は別である(数学も嘘に溢れているという学者もいるが)。

自然科学や物理の法則にいたっては99.9%は仮説だということである↓。

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

したがって、「必ず●●できます」や

「絶対に●●しません」というのは嘘である。

そんなのは選挙演説か、セールスコピーだけにしてもらいたい。

逆に選挙演説とセールスコピーは嘘八百でも許容される、ということであるが…。


「2ちゃんねる」の元管理人、西村博之氏が

2000年に起きた西鉄バスジャック事件の際、テレビ朝日の取材を受けた際に

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」とコメントしていた。

掲示板は嘘だらけだと自ら認めた発言として物議をかもしたが、その通りだと思う。


あらゆるメディアには嘘が含まれているし、あらゆる人物の発言にも嘘が含まれている。

もちろんその多くは悪意あるものではない。

100%ということが世の中にほとんどないから、善意のはずの情報に「嘘」が含まれるのはやむを得ないのである。

生きて行くうえで必要なのは、「嘘度」がどの程度か見抜く力だと思う。


我々医者の世界では「嘘度」が低いものとして、学術論文を読んでいる。

さらに論文には「インパクト・ファクター」という「嘘度」の低さの指標がある。

インパクト・ファクターが高いほど「嘘度」が低いというわけである。


一方、テレビは注意が必要である。

NHK教育テレビ「きょうの健康」とかで、どこかの教授が解説している内容は嘘度が低いが、

民放ドキュメンタリーやバラエティ番組が、キャッチーなタイトルで放映する、

「感動!最新医学!神の手が命を救った!」などという番組があったとしたら

嘘度は高いと思ってよい。


私のサイト↓↓は嘘度をかなり低く抑えているはずである。

沖縄に優勝旗が

kounan.jpg


私は沖縄在住であるが、

今日(もう昨日)の沖縄は大変熱い。熱すぎる。

当然である。

沖縄興南高校が、沖縄県勢初の夏の甲子園優勝となった。

優勝旗が始めて海を渡って沖縄にやってくる!


もともと沖縄の野球は強かった。

自分の記憶では沖縄水産が1990年、1991年と2年連続準優勝している。

この時の監督は、栽弘義(さい・ひろよし)という伝説の人である。

残念ながら2007年に逝去され、今回の優勝を目にする事は出来なかった。

その後も春の選抜では今年の興南を含め、3回優勝している。

正確に調べてないが、県の人口比からすると相当強い。

しかも他の県の強豪は全国から選手を集めているが、

沖縄はほぼ100%県内出身者で構成されている。

現に東海大相模に沖縄出身の兄弟がいたように、沖縄からも

引っ張られている状況であるにもかかわらずである。


さて、「トリビア」であるが

1990年に沖縄水産が準優勝した大会にはちょっとした伝説がある。

同じ大会に、大阪府立渋谷高校2年で中村紀洋が、

星稜高校1年で松井秀喜が、そして愛工大名電2年でイチローが、出場していたそうである。

いずれの3校とも初回戦で敗退している。

NHKアーカイブで彼らの姿を見てみたい。


余談であるが、島袋君がさわやかすぎて今後の進路が心配である。

終戦記念日

war.jpg


改めて実感したのは、

終戦から自分が生まれるまでの年月の、

すでに3倍も生きてしまったという現実である。

サンフランシスコ講和条約から、たったの9年後に自分が生まれた、

という事実に驚いてしまった。

というか単に、自分が年を取っただけの話であるが…。


ところで自分が学生時代の頃はよく記憶にないが、

昔も今のような戦争の語られ方が行われていたのであろうか?

もちろんここでいう戦争とは、本日が終戦記念の「かの戦争」である。


歴史学者でも何でもない、戦後生まれのただの医者が

「かの戦争」を論ずる資格も術も持たないが、

最近、終戦記念日や原爆投下などの日に、メディアや一部の語り部たちが、

「人間の死」という切り口で、

「かの戦争」を「語っている」のを頻繁に見かける。

むろん「かの戦争」が、膨大な人の死を伴っていたのは事実である。

また、同時にそこには語り尽くせない歴史的背景があり、

それゆえ、無数の切り口があるのは否めない。


ただ私が少し警戒するのは、「人間の死」という切り口の語りが、

本来の意味であるところの、

「かの戦争をひもとく」という目的を逸脱し

単に「かの戦争」批判に「人間の死」が利用されている、

そんな傾向が見え隠れする点である。



「人間の死」に関しては、医者はある程度語る資格がある。

人は例外なく死ぬ。

唯一、「死」のみがすべての人に平等に与えられた運命である。


ちなみに医者は人の命を救おうとする仕事だが、

通常の医療行為の過程で人が死んだからといって医者を辞める人はいない。


「かの戦争」以前も、以降も、そして今現在も、

世界中で連綿となく人は死んでいる。

戦争以外にも理不尽な死は無数にある。

病気、事故、災害、犯罪…。自殺もある意味「理不尽な死」である。

親に見捨てられ、家族に忘れ去られて死んで行く子どもや老人がいる。



かといって今現在(日本で)戦争が生じているわけではなく、

誤解を恐れずに言えば日本はきわめて平和である。

つまり、戦争=死 ではないし、

「平和」と「死」は対極にあるものでは決してない。



年端の行かない子どもたちに、平和=「死のない世界」という

謝った認識を植え付けるような語りには違和感を覚える。

子どもたちに「かの戦争」を語るのは、社会の先生か、

知識を持った親が、きちんとした史実を踏まえて系統的にするべきである。


この話を始めたらきりがないので今回はここまでにします…

生意気だと思ったらゴメンナサイ^^;


リーダーのあるべき姿

David Caruso

海外ドラマ「CSI」シリーズが熱い!

知らない方のために超簡単に紹介しておく。

「CSI」=「Crime Scene Investigation」の略で、アメリカの警察ドラマである。

知らなければグーグルで「CSI AXN」と入力して調べてもらいたい。

CSIは日本でいうところの「鑑識」にあたる。

「CSI」シリーズは全部で3つある。


「CSI 科学捜査班」というサンフランシスコを舞台にした最初のシリーズ。

次に「CSI NY」というニューヨークを舞台にしたシリーズ。

そして「CSI マイアミ」とマイアミを舞台にしたシリーズ。

基本的に1時間1話完結型のドラマであるが、そのストーリーの完成度は、

日本のドラマの比ではない。

毎回毎回、よくもまあこんな奇抜な話が考えられるものかと、脚本家に脱帽である。


ところで今回強調したかったのは、これらの主役たちである。

特にマイアミシリーズの主役、ホレイシオ警部(David Caruso)のかっこよさは半端ではない。

どうかっこいいか、というのは見てもらえれば早いのだが、

言葉で表現するなら、

超クールで滅多に感情をあらわにしない。犯罪者は容赦しない。

それでいて子供や弱者にはとんでもなくやさしい、

正義のために動き、小賢しい手は使わない、

部下からの信頼が厚く、部下を大切にする、

などなど。


他のシリーズもそうであるが、このCSIの主役たちに、私はどうにも感情移入してしまう。

何故かというと、(広い意味で)立場が似ているからだと思う。

彼らは皆、ある「チーム」のボスである。

警察組織という大機構の中でのひとつの「チーム」のボスである。

経営者や管理職ではない。かといって企業でいう「中間管理職」とは少し違う。

おそらくホレイシオ警部は、大組織の中で「ある程度独立した行動を担っている」チームのボスという

位置づけにあるのだと思う。

そういう意味で今の自分と照らし合わせて見てしまう。

するとそこには多くの学ぶべき「リーダーのあるべき姿」が見えてくる。


部下を守る。

部下が危険に晒されたら自らの身を呈しても助ける。

部下が上層部や他の部署から、いわれのない攻撃を受けたら

自分の立場が危うくなるのをいとわず戦う。

しかし一旦道を踏み外した部下は厳しく処分する。

指示は素早く、具体的である。

常に一貫した理念(CSIの場合は「正義」)のもとに行動する。

必ず自ら行動している。

などなど。



CSIは、そんな人生の指南ドラマである。


ただ、もし10年前の自分だったら、部下の視点で見ていたかもしれない。


遺棄される老人たち

前回の記事で言及した、幼児遺棄死亡事件の女が殺人容疑で再逮捕されたそうだ。

当然である。

厳罰に処していただきたい。


さて話は変わるが、高齢者の不在問題が急速に表面化している。

これも恐ろしい話である。

いったいその高齢者たちはどこへ消えてしまったのだろうか?

特に実子など、一親等の身内がいることが明らかにもかかわらず、

生死の確認もできないというのは尋常ではない。

もちろん個々のケースで、その家族が断絶するに至った事情があるのは理解できる。

したがって多くの高齢者が長い間一人で暮らしている、

という状況もよくわかるし、実際医療に従事しているとよく遭遇する。

しかし、そういった一人暮らしの高齢者が亡くなった場合、

多くは医療機関で死亡が確認されると思われるが、

死亡診断書または死体検案書が医師によって発行される。

それが適切に処理されたなら住民票が末梢され、

行方がわからないという事態は起こらないはずである。


一人暮らしで何十年も親族と関わりがなくとも、親族が存在するなら

医療機関、または警察などの行政が連絡を取ることを試みる。

親族が不明な「老人の死」が適当に処理されたのであろうか?

少なくとも自分が関わった「一人暮らしの老人の死」は

これまで何らかの形で適切に処理されてきた。


今時の文明社会で、人間が誰にも知られず死に至り、白骨化して風化する、

などということは犯罪にでも巻き込まれない限りありえない。

現に、幼児や中高生の行方がわからなくなると、全国版のニュースにもなる。

「○○県××市で100歳の男性の行方が3週間以上わからなくなっています。

現在地元警察と自治体が事件と事故の双方を考慮し、捜索を続けています」


なんてニュースがこれまであったであろうか?

聞いたことがない。


杉並区で行方がわからない113歳の女性の娘は、事が大きくなったために

今頃になって「捜索願」を提出するという茶番を演じている。

しかも遺族年金なるものが先月まで支給されていたという、

極めてグレイな様相を呈している。

それはともかくとして

要は現在の日本社会では老人は容易に遺棄されるということである。

この113歳の老女の娘も既に「老女」であり、自らが遺棄の対象になっていることを

自覚したほうがよい。


こうして幼児遺棄死亡事件と合わせて考察すると、

日本では生物学的弱者が同種族により遺棄される

という恐ろしい状況が進行しつつあるのかもしれない。






幼児虐待のニュース

私は、幼児や児童の虐待、遺棄事件を聞くたびに

無性にハラワタが煮えくり返るような憤りを覚える。


最近も、2人の幼子を放置して死に至らしめた風俗女の報道があった。

誤解を恐れずに言うが、この女には個人的には死刑が相当と思われる。

実質的に2人の人間を死に至らしめたわけで、殺人罪と同等と考える。

従って、2人以上の人間を殺した場合は死刑が考慮される。


まあ、実際は法的に「保護責任者遺棄致死」で殺人には問われない。

しかし一般市民にはどこからどう見ても「殺人」である。

現行の法律では、この女はおそらく死刑どころか無期懲役にすら処されない。

何年かしらないが娑婆に戻ってくるであろう。

なんと恐ろしいことであろうか…。




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Author:SurgeonX
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