スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

医龍というドラマを語ってしまう

iryu1.jpg


「医龍」というドラマがある。

天才心臓外科医を主人公にした医療ドラマである。

何回か断片的に見たが、そのマニアックな専門性から、
心臓外科医の自分は面白いのだが、
一般の視聴者にはかなり理解が難しいのではないか?と心配している。

エンドロールを見るとやはり医療監修は某大学病院の現役心臓血管外科医であった。
故に、ある程度業界の人が見ても許容範囲の内容に仕上がっている。

日本でまだ試験段階の手術手技を紹介しているなど、
いくつかの問題が指摘されているようであるが、
フィクションのドラマである限り許されると自分は思う。

というか何よりもキャラクター設定が面白い。
特に阿部サダヲ演ずる麻酔科医が、
一番漫画的でありながら一番現実に居そうなキャラクターである。
そもそも心臓外科業界に生息するリアルの輩は漫画的な連中が多い。
これは善くも悪くも、という意味であるが。。。

水嶋ヒロの文壇デビューにも同様のことが言えると思うが
(まだ読んでいません)、
誰かスター的存在が登場し、その業界の活性化に貢献することは、
経済的効果抜群だと思っている。

同様に、このようなドラマが一般の人たちの脳裏に刻まれ、
いずれそれが我々現実の心臓血管外科医に反映される日々が到来することを願って終了する。
スポンサーサイト

メディカルツーリズム推進の愚

昨今、やたら「メディカルツーリズム」がもてはやされている。

観光産業と医療をコラボレーションさせ、
医療産業の活性化を図ろうとする、医療機関や地方自治体の戦略である。

世界ではいくつかのパターンがあり、
例えば後進国の金持ちが自国の医療では満足できないため、
欧米先進国へとツアーするケースがある。

また、先進国の金持ちが、
「メディカルツーリズム」に特化した主に東南アジアの「リゾート病院」に
観光を兼ねてツアーするケースもある。

日本が推進する場合、ちょうど両者の中間ぐらいに位置するかと思われる。

前者のような、例えばアラブの石油王が日本に来るかと言えば、
現時点では米国に勝る魅力は日本の医療機関にない。

これは純粋に医療のレベルの差ではなく、
歴史的に日本の病院は国民皆保険制度のもと、
原則貧富の差なく医療を受けられるようなハードウェアを元に作られているからである。

つまり莫大な費用を投資した米国の大病院には快適度の点で到底叶わない。
ならば、低価格を売り物にして「客」を集める選択はあると思うが、
それでは不採算性が濃厚で本来の目的は達成出来ない。

では東南アジアに見られるような
「リゾート病院」化していく方法を採用するか、であるが、
それらの国々の病院は自国の貧民層を鼻から対象外にしており、
そのような体質の医療機関は法的にも国民感情的にも
日本に適合しているとは思われない。

たとえば保険料が払えない自国の患者は無視され、
同じ病院で他国の自費患者が特別室で手厚い最先端検査を受けている光景を
日本社会が「やむを得ない」と受け入れるであろうか?
それはそれで必ずしも否定される光景ではないが、
いまのところよしとする国民は少ないと思う。


結局、出来る事といえば、
中国や韓国のプチ金持ち層を相手に、
適度な価格の「人間ドック」を提供するという
中途半端なレベルに終始するような気がする。


しばらくは静観するが、
もし成功をおさめる医療機関が登場したら拍手を送りたい。

出生前診断、胎児エコー検査、生命倫理

以前から、生命倫理について考察を続けていた。

今日のNHKクローズアップ現代は
「出生前診断」に関するものであった。

エコー(超音波検査)技術が進歩し、
胎児の様子が手に取るように見えてきた。

超音波検査の最大のメリットはレントゲンやCT検査、MRI検査などと違い、
人体に無害であるという点である。
故に手軽に妊婦の経過観察に使用されている。
それによって胎児の異常が「生まれる前に」診断可能となるという、
さまざまな倫理的問題を内包した事態が生じてくるという話題であった。

ここでも私は、以前に紹介された田嶋華子さんのことが頭によぎった。
華子さんは延命を拒否して亡くなられたものの、
華子さんが短い間にこの世に残した「生」はとてつもなく孤高の存在であったと痛感する。

彼女が出生前診断で診断出来る類いの病気であったかは不明であるが、
彼女の生は大変有意義なものであり
このことから、生命はどのような状態であろうと、
「基本的に」生まれてくる権利を持つのではないかと個人的には思う。

苦渋の選択をして中絶した女性は大変お気の毒であるが、
生命の可能性はまだまだ限界に達していない。

何が障害者に生じているのか、もう一度吟味する必要があると思うのだが。

NHKクローズアップ現代、ある少女の選択

延命

NHKクローズアップ現代(12/8)
「ある少女の選択~“延命”生と死のはざまで」

今回のクローズアップ現代は大変印象深く、心揺さぶられる内容であった。

田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。
さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。
『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛藤を繰り返した華子さん。
自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。
華子さんの闘病を1年にわたって記録。(NHKホームページより抜粋)

最初は、自分で管を使い痰を取り、人工呼吸器を取り付けている、
「比較的元気な」華子さんが登場する。
医療器具をコントロールし、ほぼ自立した日常生活を送っている。
何の病か不明だが、長く生きられない事はわかっているらしい。

その華子さんが腎臓が悪くなり「透析」が必要な状態となる。
おそらく病の性質から透析には延命効果があるものの、
本質的な治療にはならない状況であることが示唆される。
華子さんが「もうこれ以上の延命はいやだ」と透析治療を拒否する。

胸を打たれるのは、両親と本人、主治医も含めて話し合う場面である。
華子さんには強固な意志があり、
家族から引き離される「延命治療」は一切受けたくないと筆談で言う。
でも当然お父さんは、少しでも長く生きていて欲しいので説得する。
主治医は医師として治療継続の選択が本音だが、
自分の主観を決して押し付けずに本人に決定を委ねようと話し合いに立ち会う。
母親は泣きながらも、達観していて「本人の決めた事だから」と腹が据わっている。
さすが母親は強いと思う場面であった。
お父さんの苦渋の思いは、自分にひしひしと伝わってきた。

そして華子さんの揺るぎない選択からは、「自分の生」に対する「尊厳の念」を強く感じた。

やがて華子さんは亡くなってしまう。。。


「命が大切だ」と漠然と謳い上げることの「無責任さ」が改めて問われていると思った。

「リハビリの夜」書評



今日は書評をひとつ。
「リハビリの夜」(医学書院)という本を読んだ。
著者は小児科医で、自身が脳性麻痺者である、熊谷晋一郎氏である。
内容は「自らの身体との交渉の道のりを詳述した身体論」(医学書院より)である。

とても興味深くユニークな視点を持った医学書であり、自伝であり、エッセイでもある。
脳性麻痺の人たちの主観が、見事に表現されている。
障害者自らが(障害者という言葉は文中ではほとんど用いられていないが)
その障害を研究するという、「当事者研究」をもくろんでいるそうである。

著者は健常者を「多数派」、障害者を「少数派」と呼び、
「障害」という体験は、ある社会の中で多数派とは異なる身体的条件を持った少数派が、
多数派向けに作られた社会のしくみになじめないことで生じる、生活上の困難のことである、と定義する。

タイトルであるリハビリの夜というのは、
著者が小学生から高校生ぐらいまで、毎年参加していた夏休みのリハビリ強化キャンプでの出来事からの引用である。
著者はそこでの体験を中心に、一貫して現在の脳性まひ者に対するリハビリの根本的理論を批判している。
要約すれば、「健常者をモデルとした動き」に矯正させるリハビリ手法は間違いであると述べ、
それを少数派である著者自身が脳科学的、経験的な裏付けで証明している。


この本の最もユニークな点は、
リハビリ中に感づいた自らのセクシャルな感覚を「敗北の官能」と表現し、
一種のマゾヒズムであるとカミングアウトしているところである。
さらにこれまであまり語られなかった「便意」との格闘にも言及し、
ここでも官能がリンクする。

そして「敗北の官能」は後に医師となった著者の
「採血動作」に代表される「運動」を立ち上げるために必要な中心的動因として回帰するそうである。

ここまで自らを吐露する当事者研究というのは驚きでもある。

これを読むと、障害者ならぬ「少数派」に、
多数派がどのような視点で接するべきかが朧気ながら見えてくる。
プロフィール

SurgeonX

Author:SurgeonX
Surgeon X

facebook
twitter
surgeon_Xをフォローしましょう
最新記事
クリックThanks!!
最新コメント
リンク
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。