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テレビ朝日「報道なんちゃら」

さて、今回も「表現の自由」の観点から過激な感想を述べさせていただく。

私は、ニュースキャスターとしての古館伊知郎が嫌いである。
何故なら、典型的な偽善者に見えるからである。
もし、ニュースキャスターという商売が「偽善者」であることを前提として成立しているのならやむを得ない。
ただ、前任者である久米宏は偽善的要素はあったものの、
明らかに偽善者とは一線を画していた。
たしかに彼のようなカリスマ的キャスターの後釜に抜擢された重圧は同情に値する。
また、ニュースキャスターとして素人であった古館が、
特に政治経済に関する並々ならぬ勉学に励んだであろうことは想像に難くないし、
仕事根性はあると思う。
しかしその勉学の結果、本人も気がつかないうちに偽善者に成り果ててしまった。

月並みな物言いで批判すれば、
「そんな綺麗事言って、お前に何が出来るんだよ?!」
「お前は最高裁判事かよ?」
というフレーズが頭の中で連発するニュース番組である。

だからあまり見ていないが、最近たまたま見たら、
またこれがひどいゲストを迎えている。
とにかく現政権の批判をすればテレビ局から文句は言われないだろう、
という魂胆の低レベル発言を繰り返す思考停止状態のどこかの馬の骨である。
古館はいかにも真剣な表情で、
「この世の終わりも近い」とでも言わんばかりの紋切り型の感想を加える。
呆れ返ってモノが言えない。

思想的偏りのためあまり個人的には好きではなかったが、
まだ故・筑紫哲也氏の方が数段まともであった。

これ以上批判するのも不愉快なため、もう止めておこう。




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原発反対運動

さて、今回の記述も私の勝手な思惑なので、表現の自由という観点からご容赦いただきたい。

イタリアで国民投票が行われ、原発廃止を訴える票が9割に達したという。
個人的には短絡的な発想だという感想を禁じ得ない。

無論、イタリアと日本では国家としての事情もエネルギー事情も大幅に異なることは念頭に置かねばならない。
イタリアはEU加盟国で地理的に隣接する他国が存在する国家であり、
特に(原子力大国である)フランスから電力の供給を受けたりしている。
しかもチェルノブイリ事故の際にあながち無関係とは言えない距離に存在した国家である。

このような他国の過剰反応を日本がそのまま感受するのは思考停止もいいところである。
もちろん、自分たちが節電に徹する覚悟が相当出来ている上での判断であるなら納得がいく。
例えば真夏にクーラーを止めて脱水死の危険があっても、
「原子力発電に絶対反対」
というなら反論の余地はない。
果たして世の人々はそこまでの覚悟が出来ているのであろうか?

国に対して、原子力発電は廃止しその他のエネルギーを早くなんとかしろよ、
という自己中発言はおぞましいと思う。

さらにおぞましいのは、ここ数日来ニュースになっている、
「海水浴に際しての放射性物質調査」である。
もちろん福島近辺の海辺では厳重な調査が必要であるのはわかるが、
宮崎などで調査する必要性があるのか甚だ疑問である。
例えば、宮崎の海岸で海水浴の際に放射能を気にする人たちが、
煙草をぷかぷか吸っていたとしたら、本末転倒と言わざるを得ない。
「あんたたちが放射能で発癌する可能性より、今吸っている煙草で発癌する可能性の方が100倍高いんじゃないか?」と忠告してあげたい。
(注)100倍というのは根拠がない数値で、ただのデフォルメです。



小沢一郎氏について

政治を語るようなブログではないが、
「政治」が本来すべての国民を対象にしたシステムであることから、
一般庶民が感想を述べるのは「表現の自由」がある限り自由である、
という観点から書いてみた。

小沢一郎という政治家がいるが、そろそろ引退してほしい。
何故かというと、現在共産党以外の与野党含めあらゆる政治家は、
政治的言動をする際に常に小沢一郎の存在を考慮しないといけない、面倒臭い存在となっていると思われるからである。
それでいて当の本人は別に政権中枢にいるわけではない。
「小沢一郎」という存在を一切抜きで政治的言動をしたい人たちが数多くいるはずである。
しかし小沢氏が現役の国会議員である以上、頭のどこかで常に彼の事を考慮しないわけにはいかないのであろう。とにかくやっかいな存在だと想像される。

たしかに検察審査会による強制起訴などという理不尽と思われる仕打ちを小沢氏は受けている、
と個人的には同情する面がないでもない。

そもそも好きか嫌いかと問われたなら好きな方の人間ではある。

自分が最も好感を持ったのは、今から10年前である。
米国が同時多発テロに呼応し、アフガニスタンへの空爆を開始したことに対して、心の底から批判していたのをよく覚えている。当時日本は親米の小泉旋風真っ只中であった。そんな中、野党自由党で口下手な小沢氏が(たしか筑紫哲也のニュース特番だったと思うが)熱弁をふるって米国批判をしていたのが印象的だった。1993~1994年の55年体制崩壊以来、「小沢」といえば政治の裏番長だと思っていたのが、その理論の正統性から「この人はこんな理性的な考えの持ち主だったのか」と見直した記憶がある。もちろん、ライバル小泉に対する批判もあったであろうが、主な動機はもっと純粋な政治的感覚だったと思う。

ただ、月日は過ぎてしまった。
2年前に自民党の失態から政権交替が実現したわけであるが、小沢氏が政権中枢の「表舞台」で活躍するには既に機を逸してしまったような気がする。

政治の世界では「敵の敵は味方」という理論は成立しないようで、かつて自民党の顔役だった野中広務元幹事長は、小泉旋風に吹き飛ばされた一人であるが、小沢一郎とも犬猿の仲だったらしい。彼が政界から引退した直後「文芸春秋」に引退後所感のようなエッセイを寄稿しているが、その中で「小沢氏にだけは一国の主(=総理大臣)になってほしくない。もしそんなことがあるようなら、私が知っている事を全部暴露してやる」的な事を書いている(文芸春秋のバックナンバーを調べればわかる事実です)。

現在の小沢氏の立場はいかにも「もどかしく」「微妙」であり、それもこれも制御不能の複雑な政治力学が作用した結果であり、すべての政治家たち(というか我々国民も)が小沢一郎の「配置」を常に頭の片隅において行動してきた証拠であるような気がする。つまり万人にとって妥当である小沢氏の「配置」は、今の日本の政治機構にはないような気がする。
さて、「すべての政治家」というのは正確ではなく、始めに書いたように共産党は例外と思われる。そういう意味で共産党は一本筋が通っている唯一の政党である。無論、自分たちが政権与党になることを想定していない、ある種の「無責任」だという批判も一理あるが。

以上のように、小沢が好きであるにも関わらず、あえて政界引退が好ましいのではないか?という考えが沸き上がったので書いてみた。




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